hanekakusiのブログ

『猫とかわうそ』http://hanekakusi.web.fc2.com製作日記です。読書の感想も書いています。

石人山古墳

八女群広川町にある古墳で、その名の通り石人さんが出土しています。武装石人で、脇腹のあたりに丹塗りが残っています。石人さんの向こうに石棺がありますが、柵があって中には入れません。しかし石棺の蓋に描かれた直弧文などの装飾は十分よく観察できます。落書きもいっぱいあるものの、くっきりと文様が確認できます。

近くには装飾古墳の弘化谷古墳もあるのですが、次回の公開は11月なのでその時にまた来ようかと思います。

岩戸山古墳・岩戸山4号古墳

岩戸山古墳は古代最大の内乱、磐井の乱を起こした筑紫君磐井が作ったと記紀に書かれています。しかし石室内は調査されておらず、どうなっているか誰にもわからないそうです。

この古墳で何より有名なのは石人さんですね。石人さんは加工の容易な阿蘇凝灰岩で出来ていて、九州北部でしか見られないらしいです。古墳の上や周囲に立っていたそうですが、埴輪より大きくてどんと存在感があります。素朴な出で立ちで和みます。

巨大な前方後円墳の周りを、ぐるりと散策もできます。潜在自然植生に近い照葉樹の森が広がっていていい感じです。

4号古墳については場所がわかりにくいので、岩戸山歴史文化交流館の人に案内してもらいました。畑の中に普通にあります。岩戸山古墳より時代が下るもので規模も小さく、八女古墳群ではこれ以降、古墳は造られなかったそうです。玄室の中は何もないですが、巨大な一枚岩を何枚も使って作られているので規模の割に迫力があります。中は暗いので、懐中電灯を持参されるといいですね。入るのに特に許可はいらないし、いつでも入れます。

浦山古墳

久留米成田山の本堂でお坊さんに言うと、頼りなげな懐中電灯と鍵を貸してくれます。

古墳は帆立貝型前方後円墳です。鍵で扉を開けると石室があります。何の説明もないのでどこまで入っていいのかドキドキしながら奥へ行くと、何と石棺の中まで覗けます。懐中電灯は例によって暗めですが、それで照らしながら装飾をさがすのも、なかなか探検ムードがあります。一面に幾何学的な線刻があって、直線と弧を組み合わせた模様や、同心円文が残っています。天井の蓋部分には、べんがらの赤が塗られていました。

近くには浦山公園があって、2号墳から6号墳までの古墳が外観から観察できます。晴れた日はお散歩コースに最適です。

チブサン古墳・オブサン古墳

最近にわかに装飾古墳がマイブームになりまして、山鹿市立博物館に行って来ました☆ まりこふんもライブしてた所です。

チブサン古墳の見学は1日2回、10時と2時にあります。場所が1キロほど離れているという事で、博物館の方が車で先導して案内してくれました。予め古墳の模型で丁寧に解説を受けた後で、いざ石室へ。

チブサン古墳は現在は双円墳みたいになってますが、元は前方後円墳です。丸っこくて見た目も可愛いです。金庫の蓋みたいな厳重な扉を開けてもらって、狭い通路を抜けて行き来ます。ちょっと探検気分です。雨の後は水が漏ってくるそうですが、幸いお天気に恵まれました。

先には広い石室があります。石室内はガラス張りで入れないので、薄暗い懐中電灯を貸してくれます。ほんと微妙な明るさなんですが、これも保存のためなので仕方ありません。ガラスが曇ってほとんど見えない日もあるそうですが、この日はバッチリ見えました。色彩が鮮やかに残っていてびっくりです。赤・白・黒の三色で、三角や四角のポップな幾何学的模様や水玉模様が描かれています。右手にはちゃんと棒人間っぽい人もいました。こんな凄いものが見られるとは。

チブサン古墳の近くにはオブサン古墳もあります。こちらは残念ながら熊本地震の被害を受けて中が見られなくなっていますが、きれいな円墳で外観だけでもすてきでした。

帰りには鍋田横穴群も見て来ました。岩壁に剣や弓を持った人が描かれています。古代の素朴な絵でいいですね。いいね装飾古墳。

『発光妖精とモスラ』

映画モスラの原作本です。何故読んだかと言うと、作者が凄いんです。意外すぎるのですが、当時の日本を代表する文学者、中村真一郎福永武彦堀田善衛の三人が、それぞれ序盤、中盤、終盤を分担してリレー方式で書いています。何やってんでしょうね。まあしかし、リレーであっても遊びではなく仕事で書いているので、予め筋書きも話し合ってはいたようです。友だち同士でやるリレー小説なら無茶ぶりして遊んだりするのが楽しいものですが、そういうのじゃないです。

中村真一郎はネルヴァルの翻訳で好きになりました。しかし今作は・・正直やや微妙でした。ゾラなどの翻訳をしている某教授もですけど、翻訳の文章はあれだけ書けるのに、どうして自分の作品は素人っぽくなってしまうのか不思議でなりません。やっぱり違うものなんでしょうか。まあでも悪口はこのくらいにして、その代わり中盤を担当した福永武彦が、今回とてもいい仕事をしていると思います。文章の巧さもさる事ながら、中村氏の書いた(必ずしも上手いとは言えないと私は思う)内容を随所でちゃんと引用して引き立てつつ、モスラが卵から孵化した、ここからが見せ場というおいしいところで次の堀田善衛にバトンタッチしています。福永武彦はあまり読んではいないですが、何か優しい人ですね。この三人は学生時代から仲良しだったそうですが、みんな思いやりがある感じでいいですね。

作品の内容は、非常に戦後色の強いものです。インファント島という架空の島が登場しますが、恐らくここに日本を重ねています。この島では近年核実験が行われたのですが、原住民は放射能を無害化する方法を知っているので平気で暮しています。彼らは光る美人の小人たちを自分たちの女神として大切にしています。しかしロシリカ国(ロシアとアメリカを合わせた国名)のネルソンという悪者が原住民を虐殺して小人を連れ去ります。そのせいでモスラが暴走し、 東京とロシリカの大都市を壊滅させる。この筋書きの背景には安保闘争があったようです。

それにしても、何でモスラはもっと強そうな怪獣でなくて蛾にしたのかと以前から思っていましたが、「巨大な蚕」という表現があって納得しました。日本は昔から養蚕の国ですし、まさに日本を象徴する怪獣なんですね。

 

 

オーウェル『一九八四年』

この作品は1950年に書かれたものなので、当時の新未来小説です。20世紀を代表する作品と聞いていたのですが、政治的意図が強すぎて私の好きなタイプの小説ではありません。ここでは政治の話はあまりしないでおきますが、集団主義批判については実社会で暗黙的に行われているような事も書かれていますし、今でも現実味があると思います。現に、余計な事は知ろうとはせず、権力のある人が2+2=5と言うならそれに従った方が安全ですね。

書かれている内容が悪いわけではないのですが、小説としてあまり好きではないので深く読み解けているわけではありません。しかし気になる点をいくつか書こうと思います。一つは、主人公はなぜ思考警察のオブライエンに引かれたのかという事です。彼は思考犯になる事を知りながら、いつかオブライエンに読んでもらうために日記を書きます。逮捕されてからも、オブライエンは迫害者であるだけでなく、唯一の理解者であり、自分の守護者とも思っているのです。主人公は最初から、オブライエンの手によって人間として自分が死んで、集団に同化する事を望んでいたのでしょうか。

もう一つは、主人公たちの言動についてです。思考警察によって、彼らは自分が助かる為なら誰彼構わず犠牲にする事も余儀なくされました。しかし彼らはそれ以前から利己的であったように思います。主人公は日々、役所で歴史の改ざんの仕事に勤しんでいます。恋人のジュリアも権力への反抗と言いながら性的に奔放であるだけに見えます。彼女は自分の身を守るために率先して権力におもねる行動を取っています。スパイ団の班長もしていたと言っていましたが、きっと誰かを告発した事もあったでしょう。彼らが利己的なのは逮捕される前からです。決して理想高き反逆者ではありませんでした。身を守る為に他者を犠牲にする事は彼らが以前からして来た事ですし、恐らくこういう社会で生き延びるにはそれしか手がないのでしょう。

作中の政府は、どうしてここまで労力を消費してまで国民の一人一人を監視していちいち矯正しようとするのだろうか、めんどくさいだけじゃないか、と疑問に思いながら読んでいましたが、その答えは書いてありました。すべては権力の為であり、権力とは他者の苦痛により保証されるものだという事です。私としてはとても納得の行く説明です。人が人の苦痛を積極的に願う理由はすべてそこにあるのかも知れません。

『身体はトラウマを記録する』

PTSDの権威によるPTSD研究の集大成みたいな本です。専門家向きですが、一般読者にもこれだけの内容のものが読めるようになっているのは素晴らしいことです。専門家でもここまでPTSDの事がわかっている人ばかりではないでしょう。ただ具体的事例が多いので、フラッシュバックには気をつけて読まれるといいと思います。虐待というのはどこの家庭にもごく普通にある事ですから、この本を必要とする人も多いでしょう。ここではPTSDの社会性がなくなったり無気力になったりというような周囲から理解されないつらい症状についても、脳科学から原因を説明してくれています。目からウロコです。

近年は抗精神病薬もいいものが沢山開発されていますし、おかげで多くの長期入院患者が自宅に帰れるようになりました。薬の恩恵はとても大きいものですが、あまりに薬物療法中心になり過ぎると、極端になると医師の役割はDSMの診断名に患者を当てはめて薬をだすだけになりかねないと著者は危惧します。病因が何であれ、薬を投与してしまえば患者は大人しくなり文句も言わなくなってしまいます。そうなると背景に虐待などがあっても解決されないままです。まあ、何か悲惨な体験でもしない限りふつう統合失調になんてならないですよ。抱えている過去の経験を清算できたら薬の量が減らせる人もいるかもしれません。トランキライザは副作用もありますからね。

この本では日本ではあまりまだ馴染みのない治療法が色々紹介されています。EMDRとか面白いですね。指の動きを患者に目で追わせるだけで回復してしまうとは・・俄かには信じ難いですが、エビデンスあるらしいですよ。こうした治療法の多くは分析のような言葉によるものでなく、身体や脳に働きかけるものです。確かに、暴力などつらい体験をして来た人にその体験を言葉で語らせるような苦痛の多い治療は酷なものです。そんな過酷な体験を重ねるよりも、体に心地よい感覚を与えたり、安心できる人間関係の中に身を置いたりする事の方が癒しに繋がるかもしれません。それに、言葉を使う治療はどうしてもインデリジェンスの高い人が有利になってしまいますが、そうでなければ環境のせいで教育を受けられなかったような人にも使えることでしょう。

私は無神論者ですし、絶対的な治療法があるとは信じていません。患者ごとに背景は異なりますし、違った解決法を探していかなくてはなりません。選択肢は多い方がいいですね。