hanekakusiのブログ

『猫とかわうそ』http://hanekakusi.web.fc2.com製作日記です。読書の感想も書いています。

マチューリン『説教集』

『メルモス』が途中なんですが、マチューリンの『説教集』から一編訳してます。彼の戯曲『バートラム』も翻訳しようと思います。というのは、私自身彼のことをもっと知りたいと思うからです。無神論者の私には牧師の説教なんてめんどくさいですけどね。

シャーロット姫逝去に際して、二回にわたり説教を行っています。このシャーロット姫とは、シャーロット・オーガスタ・オブ・ウェールズ(1796.1.7-1817.11.6)のことです。次期女王であるこの姫が、世継ぎの男児を死産し自分も死去してしまった、その衝撃は大きかったはずです。ただショックなだけでなく、国家の一大事でもあります。マチューリンには国教会の牧師としての責務があったのです。(ちなみに、この次の説教はネルソン提督逝去です。そういう時代だったんですね)

訳した感想ですが、きちんとした誠実なお話だと思います。ただちょっと話してる本人が、自分の言葉に釣り込まれやしないかと感じるところはありました。とはいえ宗教家の話は聞き手を陶酔させるのも大切なのでしょう。ただメルモスも話しながら自分で自分の話に聞き入っていましたし、それを思い出しはしました。

ウィキペディアにも、マチューリンがアンビバレントな人物だったとありましたが、『説教集』と『メルモス』のギャップは確かに理解しづらいかもしれません。でも、マチューリンは嘘つきではないし、『メルモス』を読む限り多重人格でも(多分)ありません。(登場人物のキャラクターが一貫しているし、種類が限られているからです)だから、彼の中では『説教集』と『メルモス』に矛盾はなかったのでしょう。

『説教集』の一つ目を読んで、エマーソンの言っていることと似ていると思いました。人生のつらい出来事は、神が人間を教育しようとしているのだという考え方です。二人ともプロテスタントですし、恐らくこの合理的な時代、旧約聖書の「不条理な神」は受け容れられなかったのですね。しかし、マチューリンはエマーソンとは違います。彼はウィリアム・ジェームズの言うところの「二度生まれ」です。同じような事を言っていても、決して「一度生まれ」ではないのです。