hanekakusiのブログ

『猫とかわうそ』http://hanekakusi.web.fc2.com製作日記です。読書の感想も書いています。

ふたりのロッテ

ケストナーの児童文学の名作です。本当にいい作品で、それに文章のリズムもすごくきれいです。本当に心暖まる作品だと思うのですが、しかし私は読んでてかなりつらくなりました。

多分、こんな素敵な作品を読んで心がすさむ人は少数派です。ですが今回は、ケストナーの狙いとは全く違うと思いますが、その少数派のためにひと言書こうと思います。どうしてつらい気分になるのか自分なりに分析してみました。

私がケストナーを読んで思うのは「こんな優しい人がいるわけがない」ということです。『飛ぶ教室』にしても、あんなに子どもに愛情と理解のある先生がいるわけないと断固として言いたくなります。今回の作品も、こんなにいい親がいるものかと怒りすら感じます。(母親が仕事で疲れて帰って来て、子どもが料理が出来ないとか言ってめそめそしていたら、普通だったら半殺しでしょう。それに父親が若い美人を諦めて、中古の子持ち女と再婚するわけない)私にはケストナーの描くような世界は受け容れがたいのです。

恐らく人間の脳は、過去に自分につらく接する人に出会っていると、自分の周りの人だけが意地悪だったと思うよりも、他人は皆意地悪なのだと考えた方が問題を処理しやすいのです。自分の周りだけと思うと、自分だけが特別になってしまってみじめだし、理由とか何とか考えなくてはいけないことが格段に増えます。ある種の人にとっては、優しい人も中にはいると思うより、世の中みんな冷たいと思った方が楽なのです。

話がだいぶ外れますが、カポーティの『冷血』では、犯人は自分に意地悪な人でなく、これまでにないくらい親切にしてくれた人たちを虐殺してしまいました。ジャン・バルジャンは、彼に唯一優しくしてくれたミリエル司祭から盗みをしました。そうした理由のひとつは、世の中に善人も居るということを、彼らが受け容れるわけにはいかなかったからかもしれません。

冷静に世の中を見れば、愛情のある家庭もあるし、優しい人もいるはずです。ケストナーの登場人物のような人も中にはいることでしょう。そう思うことはつらいし思考が混乱するのですが、受け容れがたくても、それを少なくとも知識として知っておくことは大切だと思います。人間をすべて否定することは過去の心の負担を軽くするかもしれませんが、当然、将来の人間関係を壊す可能性が高いからです。

広告を非表示にする