hanekakusiのブログ

『猫とかわうそ』http://hanekakusi.web.fc2.com製作日記です。読書の感想も書いています。

マチューリン『説教集』女子教育の必要性について

『説教集』の訳を進めてはいますが、あまり読む人は少ないとは思います。だからはじめは『メルモス』と関連のある二つだけを載せる予定でしたが、『女子教育の必要性について』というのが目に留まったので、これまで訳すことにしました。

『メルモス』は中盤からイマリーというヒロインが登場しますが、これがすごいのですよ。なかなか書けるものではないと思うのです。この作品は『ファウスト』と同年代ですが、グレートヒェンにはあまり個人としての人格はない感じがします。

最近スペンサーの『妖精の女王』を読んでいて、次のような件がありました。

『古の記録を見ると分かるのだが、女性は戦争(いくさ)においていつも立派な働きを見せ、また、大きな手柄を立てることを念願とし、常にその栄冠を手中に納めたので、妬み深い男性は、自分の支配が崩れるのを恐れ、女性の自由を縛る厳しい掟を定めたのであるが、女性は武具を捨ててからは、学芸と政治の面でぬきんでるようになったため、今やわれわれ愚かな男性はこの面の誉れを競い始めた』(筑摩文庫より) これが書かれたのは16世紀です。古代ケルト社会では、女性も積極的に社会参加していたという記録もあるらしいです。女性が教育を身につけることを嫌がる社会は多いのですが、イギリスは昔から抵抗が少なかったようです。マララさんがイギリスに留学しているのも理由があるのですね。

イマリーは200年生きているメルモスよりも、聡明さで劣ることはないのです。これは私の持論ですが、男女の恋愛は両性が平等でない限りは本当にはあり得ないのではないでしょうか。アリストテレスは平等な関係の間にしか愛はないと言っていました。彼らが同性愛に重きを置いたのは当然です。自分より劣っていると思う相手を、本気で愛するなんて馬鹿げていますからね。