hanekakusiのブログ

『猫とかわうそ』http://hanekakusi.web.fc2.com製作日記です。読書の感想も書いています。

サド『食人国旅行記』

引っ越しが終わって落ち着いたので、またホームページの方も再開しようと思います。どうぞよろしくお願いします。

この本は、サドを翻訳するということを話した人から、それならこれは読んだ方がいいと勧められて読みました。サドの思想を知る上では欠かせない著作ではないかと思います。澁澤氏によると、ジュスチーヌと違い、サドが公然と自分の著作だと明言し誇りにしていた作品だそうです。書かれたのはフランス革命の一年前、バスチーユの中でした。私はこの本のおかげで、美徳が不幸になり悪徳が栄える原因をサドがどう考えていたのかがわかりました。サドは社会制度が悪いと考えていたのですね。

行方不明の恋人を探して見知らぬ国を旅して、食人の国と美徳の国を見て回るというあらすじです。架空の国を旅して自国の制度を批判するという話には『ガリバー旅行記』がありますし、サドも読んだ可能性のあるシラノの『日月両世界旅行記』も思い浮かびました。食人国の描写は残虐なものもありますが、『ジュスチーヌ』などと比べれば酷いものではありません。恐らく完全な空想ではなく、食人や人身御供など未開部族の風習について聞いた情報も元にしているのだと思います。(ちなみにエリアーデによると食人はある程度文明化された社会でも行われるもので、野蛮ではないそうです。ミサのパンとワインも名残と言えます)ここで言う食人はあくまで象徴的なもので、強者が弱者を食い物にする社会構造のことを意味しています。年長者は年少者を、男は女を、力のある者はない者を虐げる社会です。私の理解では、魯迅の『狂人日記』も同じようなことを言っているのではないかと思います。

それに対する美徳の国タモエ、ここの社会制度の記述にこの作品の重点はあります。読んで驚いたのは、当時としては恐らくあまりに先進的すぎて頭がおかしいと思われたであろうこの国の制度の多くが、現代までに実現されてきたことです。書かれている内容に理性の深みを感じ、ギリシアの古典からモンテスキューまで様々な著作を読み研究したことがうかがえます。私には『ユートピア』より住み良い国のようにも思えます。

タモエでは職業によらずすべての人が平等であり、個人の幸福がもっとも尊重されます。自由と生命は神からの賜物であり、何者にも奪う権利はありません。また、刑罰は罪人の更生のためにあるべきで復讐のためではない、牢獄に長く押し込めるなど逆効果だと繰り返し述べられています。実体験からもそうだったのでしょう。これらは当時はまだ一般的な考え方ではなかったでしょうが、今では常識です。

タモエは固有財産を禁じ富を平等に分配します。現実には失敗に終わりましたが、社会主義そのものです。澁澤氏も書いていましたが、マルクス以前ですからすごいですよ。しかし中には読んでいて不思議に思う制度も当然あります。例えば子供は2歳からは親から離されて国家が教育するというもので、それにより虐待や近親相姦から子供は守られ、親も子育ての重荷から解放されるとあります。現実には国家の教育者がそう完璧な教育を行えるものでもないし、無理のある制度でしょう。でも思い返せばプラトンも同じようなことを言っていた気がします。最近ニュースで児相が保護せずに子供が自殺した話がありましたが、確かに家庭が上手く行かない場合はもっと国家が介入してもいいのかもしれません。

他に奇妙に思ったのは、演劇で国民を回心させるというものです。しかしあながち馬鹿馬鹿しくもないかもしれません。NHKが毎日何度も放映している朝ドラだって、正しい国民はかく生きるべしというメッセージとも受け取れます。タモエは国民の心を様々な手段で思うように導く術に長けています。でもこれは一歩間違えれば心理操作になってしまうという危険性もあるかもしれません。

長々と書いてしまいましたが、面白かったです。