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hanekakusiのブログ

『猫とかわうそ』http://hanekakusi.web.fc2.com製作日記です。読書の感想も書いています。

『カンタベリー物語』

読書

カンタベリー大聖堂まで巡礼する4日間、旅の一行が一人ずつ何か話をして行くという物語です。

最初の「総序の歌」では登場人物が一人一人紹介されていて面白いです。当時のあらゆる階級の人物が登場し、さながら社会の縮図です。騎士や学僧のように理想化された完全な人間もいれば、修道士や免罪符売りのような偽善者、粉屋や料理人のような下賤の俗物もいます。そして、それぞれの人がそれぞれの立場に丁度合った語り口で、ふさわしい内容の物語を展開して行きます。話の内容は多くが色恋や結婚に関するもので、騎士の物語のように高潔な愛もあれば、粉屋の話のように妻を寝取られただの下賤な話もあります。話の一つ一つを取ってみれば酷い話や極論も多いのですが、全体として見れば、一方がやり込められたらもう一方が仕返ししたりとバランスの取れた内容になっている事に気付きます。

オックスフォードの学僧は、貞節な妻グリセルダの受難について語りますが、個人的にはこの話がいちばん印象に残りました。女性には非常に人気のない作品ですが、これも別の「バースの女房の話」と対になっていて、そこでは女性が男性を支配すべしという理念が語られているのです。

グリセルダは元々賎民でしたが、領主のワルテルに見初められて結婚します。その際グリセルダはすべての自由を失い、彼女が泣くも笑うもすべてワルテルの支配下に置かれる事を誓わされます。夫は彼女の愛を試すため、産まれた子供を殺すと見せかけて次々取り上げます。それでも彼女が動じないのを見て取ると、別の身分の高い女と結婚する事にしたと言って彼女を追い出し、さらには式の準備を手伝わせます。そのような境遇に至ってもグリセルダが従順でありつづけるのを見て、夫はついに真実を打ち明けます。花嫁として連れて来られたのは成長した彼女自身の娘だったのです。そしてグリセルダは妻としての地位を取り戻し、幸せに暮らしました。

ここで作者は、この作品を紹介したのは女性にグリセルダのようになれと言う為ではなく、人生の試練に対して人はこのようにあるべきだと示したかったからだと書いています。女性に対する言い逃れとしてこう書いただけかもしれませんが、私はもっともだと思いました。何故グリセルダはかくも忍耐強く生きられたのでしょう。考えてみれば、彼女は結婚する前から領主である夫の支配下にあり、その中で貧しい生活を強いられていました。そんなグリセルダにとって夫の試練は過酷だったでしょうか。昔から、権力者が下賤の女に手を付けて飽きたら捨てるという事は当たり前、その際子供は一族の血を汚さぬためと殺されるのも当然でした。現代でも手切れ金を渡して・・ということはあるくらいですから。グリセルダははじめから全て覚悟の上だったと思います。貧しさの内には人生のありとあらゆる苦悩があります。それを身を以て知っていたグリセルダにとって、こんな試練が何だったでしょう。夫が想像の限りを尽くした最大の苦難にも、その発想の乏しさに、この程度ですかと笑いたい気分だったかもしれません。私事ですが、極貧の中で少年時代を送ったアルベール・カミュの「希望を持ってはならない」という言葉を読んだ時は、かっこいいと思って憧れました。私もそんな風に生きたいものです。

巡礼者たちの物語は、次第にふざけた物から殉教の話など宗教的なものが多くなり、最後は「悔い改め」の話が長々とあって終わります。チョーサー自身も悔い改めて、『カンタベリー物語』の中の良くない話もなかった事にして欲しいと懺悔しています。作者の死が近かったようです。旅の一行には偽善者や悪人もいますが、そういう人でも巡礼に加わったというのは、心の中では救済を求めていたのでしょう。巡礼者たちは社会の縮図です。チョーサーはこの物語の中でありとあらゆる人々を包み込み、救いの道へ誘おうと願ったのかもしれません。