hanekakusiのブログ

『猫とかわうそ』http://hanekakusi.web.fc2.com製作日記です。読書の感想も書いています。

『ガルガンチュワ・パンタグリュエル物語』

16世紀フランスの人文主義ラブレーの作品です。ガルガンチュワとパンタグリュエルという巨人親子が一応の主人公で、新教を擁護する立場から時代を風刺しています。取り留めもなく長い物語ですが、最後の「五の書」は別人の手による偽書とされています。

「一の書」と「二の書」を読んでいる間は、正直あまり面白いとは思いませんでした。ガルガンチュワ親子は巨人ではありますが、言ってしまえば体がでかいだけの人間で、この時点では特に立派なところはありません。彼らは肥大した自我や自己愛を思わせます。欲望のままに大量の牛やワインを喰らい、自分以外の小さな人間は容易く大量殺戮します。巨体ゆえに何でも思いのままです。この辺りを読んでいると、どうしても弱者を笑い者にするような話が多く、嫌な感じもしました。確かに自分のワインを守るため血みどろの戦いを繰り広げたジョン修道士と、彼の作った新しい自由な教会の話なんかは面白い部分だとは思います。しかし自分の父親の訴訟相手を戦争の敵に見立ててボコボコにするという筋書きは、幾分安易な気もします。

とは言え、エラスムスが『痴愚神礼讃』に「人間は神の子羊だが、羊ほど馬鹿な生き物はいない」と書いているように、当時の人文主義者は人間の卑小さを十分自覚していました。だからこそ、巨人親子の身勝手な振る舞いが笑えたのでしょう。それに対して、現代は自我が肥大しワガママになっている人が多いので、あまり笑えないのでしょう。

そんなこんなで読み進めて「三の書」まで行ったのですが、私はその時やっと面白いと感じました。これまでのような笑いのナンセンスさは減じてしまったかもしれませんが、思想的な深みはより感じられるようになりました。この巻から、巨人パンタグリュエルが人間サイズに縮小します。しかし内面的には哲人的な、善なる王になっています。彼の従者で実質的な主役であるパニュリュジュは以前まで超人的な働きをし、巨大な股袋をつけてそこから(勝新太郎のように)色々物を出し入れしたりしていたのですが、そんなトレードマークの股袋もつけなくなり、より道化的な役割に転じました。ここではそのパニュリュジュの結婚問題が主題で、結婚すべきか、でも結婚したら絶対女房を寝取られるからそれは嫌だ、という議論を延々と繰り返します。はっきり言って私にとって彼が結婚しようがしまいがどうでもいいし、パンタグリュエルの言ったように、なら男と結婚しときゃいいじゃないかという意見です。でも巧みに風刺や教訓を織り込みながら、荒唐無稽な議論をリズムよく繰り広げて行く展開は、読書家にとっては読んでて快感ですね。衒学的過ぎはしますが、並々ならぬ知性を感じさせます。これはちょっと他の人には真似出来ません。

「四の書」になると、結婚問題が解決できなかった一同は航海に出かけ、ソーセージ人間の国など架空の国々を探検します。この頃既にラブレーは新教徒への迫害を逃れて国外に脱出していたようで、火焙りにするならしろと豪語し、旧教への批判をよりあからさまにします。ラブレーの友人にも火刑にされた人がいたそうで、大変な時代でした。残念ながら航海の途上で話は途切れてしまい、偽書の「五の書」で帰還して来る事になります。

この本は現代日本人には決して読み易くはありませんので、読書初心者にはお勧めしません。本が嫌いになりますから。でも読んでいると、何処かで見かけた表現を散見します。それは後世の多くの作家がこの作品を読み、影響を受けたからです。挑戦してみる価値はあると思いますよ。