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hanekakusiのブログ

『猫とかわうそ』http://hanekakusi.web.fc2.com製作日記です。読書の感想も書いています。

アリストテレス『詩学』/ホラティウス『詩論』

アリストテレスの『詩学』は、あちこちで引用される有名な本です。悲劇のあるべき構造について書いてあります。

悲劇の主人公は、善人かわずかに欠点があるくらいの人が良くて、そういう人が不幸に陥る事で、観客は「同情」と「恐れ」を覚え、「浄化」(カタルシス)が生じるという事です。筋書きは現実に起こり得るもので、あくまで合理的でなくてはならず、不条理な出来事や神の登場は原則として好ましくないそうです。

不適切な例として、オイディプス王が予めライオス王の死に方について詳しく聞いていないなんて、現実的にあり得ない事だと書いてありました。確かにその通りですね。気がついてなかったですよ。だけど私は別にこういう矛盾は気になりません。だってこんな事言い出したら、水戸黄門に最初から印籠出しとけとかそういう議論になっちゃうじゃないですか。

不条理といえば『リア王』のラストなんかはそうかもしれません。コーデリアはあそこで死ぬ必要性はありませんし、まったく唐突です。私はコーデリアの死に感銘を受けましたが、アリストテレスによると不条理は悲劇ではないそうです。そこで私が逆に感じてしまうのは、主人公が正しい人ですべてが合理的に展開し必然的な帰結をたどったとしても、人は不幸になるものなのかという事です。そうだとすると恐ろしいですね。あるのはまさに同情と恐れです。

ホラティウスの『詩論』はアリストテレスが理念や理想を語っているとすると、より実際的です。観客に喜んでもらえるような作品を書くには、という事です。だから同じ合理的と言うのにも、アリストテレスとは内面的なものか人にわかってもらうためのものかの違いが出てきます。ちなみに私は個人的にはホラティウスの方が好きでした。例えば文章の書き方についても、簡潔にしようとし過ぎたらわかりにくくなってしまうし、すんなり読めるようにすると威厳がなくなっちゃうとかいう事が書いてあって、本当にその通りだなあと思いました。哲学者ではなく、実際に詩を生業としている人だという感じがします。それから、当時は詩とは狂気の賜物と思われていたので詩人は狂人を装っていたそうですが、ホラティウス自身は狂気に身を委ねる人ではなかったそうです。その辺も好きですね。