hanekakusiのブログ

『猫とかわうそ』http://hanekakusi.web.fc2.com製作日記です。読書の感想も書いています。

オーウェル『一九八四年』

この作品は1950年に書かれたものなので、当時の新未来小説です。20世紀を代表する作品と聞いていたのですが、政治的意図が強すぎて私の好きなタイプの小説ではありません。ここでは政治の話はあまりしないでおきますが、集団主義批判については実社会で暗黙的に行われているような事も書かれていますし、今でも現実味があると思います。現に、余計な事は知ろうとはせず、権力のある人が2+2=5と言うならそれに従った方が安全ですね。

書かれている内容が悪いわけではないのですが、小説としてあまり好きではないので深く読み解けているわけではありません。しかし気になる点をいくつか書こうと思います。一つは、主人公はなぜ思考警察のオブライエンに引かれたのかという事です。彼は思考犯になる事を知りながら、いつかオブライエンに読んでもらうために日記を書きます。逮捕されてからも、オブライエンは迫害者であるだけでなく、唯一の理解者であり、自分の守護者とも思っているのです。主人公は最初から、オブライエンの手によって人間として自分が死んで、集団に同化する事を望んでいたのでしょうか。

もう一つは、主人公たちの言動についてです。思考警察によって、彼らは自分が助かる為なら誰彼構わず犠牲にする事も余儀なくされました。しかし彼らはそれ以前から利己的であったように思います。主人公は日々、役所で歴史の改ざんの仕事に勤しんでいます。恋人のジュリアも権力への反抗と言いながら性的に奔放であるだけに見えます。彼女は自分の身を守るために率先して権力におもねる行動を取っています。スパイ団の班長もしていたと言っていましたが、きっと誰かを告発した事もあったでしょう。彼らが利己的なのは逮捕される前からです。決して理想高き反逆者ではありませんでした。身を守る為に他者を犠牲にする事は彼らが以前からして来た事ですし、恐らくこういう社会で生き延びるにはそれしか手がないのでしょう。

作中の政府は、どうしてここまで労力を消費してまで国民の一人一人を監視していちいち矯正しようとするのだろうか、めんどくさいだけじゃないか、と疑問に思いながら読んでいましたが、その答えは書いてありました。すべては権力の為であり、権力とは他者の苦痛により保証されるものだという事です。私としてはとても納得の行く説明です。人が人の苦痛を積極的に願う理由はすべてそこにあるのかも知れません。