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hanekakusiのブログ

『猫とかわうそ』http://hanekakusi.web.fc2.com製作日記です。読書の感想も書いています。

『バートラム』についての分析

翻訳に予定より時間が掛かってしまっていますが、何かとやることがあって、今からまた秋刀魚を捌いたりとかあるのですよ。それと、いろいろ考えていたんです。

もう第3章辺りまで来たら、読んでいてこの話の持つ違和感に気付くのではないかと思います。『バートラム』は構造的に歪んでいます。翻訳しながら丁寧に読んでいって、やっと何がおかしくて、そのような歪みがどうして生じたのかが理解出来てきました。この歪みは病的です。コールリッジがこれを道徳の歪みと判断したのは残念です。

バートラムは無実の罪を着せられて、地位も財産もすべてを失います。普通に考えれば間違いなく被害者です。しかし彼を陥れたアルドブラントは、罪人どころか金ピカの鎧を着た非の打ち所のない聖人なのです。あくまで悪人はバートラムの方で、事情を知っている修道院長すら、バートラムの名誉を回復することなど微塵も考えず、彼を恐ろしい人間だと責めるばかりです。

モンテ・クリスト伯』のダンテスが復讐の鬼と化したとしても、やはり彼は謂れ無き被害者であり、加害者は彼に負い目があるのです。メルセデスが敵と結婚したのもそれと知らなかったからで、イモジーヌのようにすべて知りながら結婚して、のうのうと幸せな生活を送っているわけではありません。

アルドブラントはバートラムを破滅させても何の罪も負わないし、イモジーヌはあくまで被害者ぶっていますし、修道院長はバートラムに何の救いの手も差し伸べない。この三人はいわば共犯ですね。普通に考えれば、彼らは偽善者です。それにも関わらず、物語の中ではあくまで彼らは善人として描かれ、悪人は迫害されたバートラムなのです。

私はこれは、明らかに認知の歪みだと思います。本来被害者であるはずの人間が加害者として認識され、加害者であるはずの人間が被害者と捉えられています。しかしこれは、現実にはありふれた現象です。例えば会社の上司が部下を虐めるにしても「お前のためだ」とか「お前が悪い」とか言うわけで、「俺が悪い」と言って虐める人はまずいない。迫害する側に権威や人気があって、とくに社会的に人格者として扱われている場合なんかは、弱者である被害者は、自分が正しいとは信じ難くなります。そうして被害者と加害者の認知が入れ替わるのです。

『バートラム』の善悪の認識が歪んだのは、こういう原因だと推察できます。要は心の傷の現れです。作者本人から聞いていないので何もわかりませんが、過去に何かあったんでしょうね。この歪みは『メルモス』ではだいぶ解消されていると思います。でもやはり物語の全体を通じて、謂れなき迫害がテーマになってくるのです。この問題は作者がこれから長きにわたり、取り組まなくてはならない課題でした。

ここからはただの推測ですが、この心の傷がいつできたかについては、善悪の認識がまだ難しい子どもの頃の事かも知れません。彼の書く家族像はあまり歪んでいないし、多分家族からの虐待じゃなくて、それ以外じゃないでしょうか。養育を担当した先生とか聖職者ですね。まあ、ここはあくまで推理にすぎません。