アリストテレス『詩学』/ホラティウス『詩論』
アリストテレスの『詩学』は、あちこちで引用される有名な本です。悲劇のあるべき構造について書いてあります。
悲劇の主人公は、善人かわずかに欠点があるくらいの人が良くて、そういう人が不幸に陥る事で、観客は「同情」と「恐れ」を覚え、「浄化」(カタルシス)が生じるという事です。筋書きは現実に起こり得るもので、あくまで合理的でなくてはならず、不条理な出来事や神の登場は原則として好ましくないそうです。
不適切な例として、オイディプス王が予めライオス王の死に方について詳しく聞いていないなんて、現実的にあり得ない事だと書いてありました。確かにその通りですね。気がついてなかったですよ。だけど私は別にこういう矛盾は気になりません。だってこんな事言い出したら、水戸黄門に最初から印籠出しとけとかそういう議論になっちゃうじゃないですか。
不条理といえば『リア王』のラストなんかはそうかもしれません。コーデリアはあそこで死ぬ必要性はありませんし、まったく唐突です。私はコーデリアの死に感銘を受けましたが、アリストテレスによると不条理は悲劇ではないそうです。そこで私が逆に感じてしまうのは、主人公が正しい人ですべてが合理的に展開し必然的な帰結をたどったとしても、人は不幸になるものなのかという事です。そうだとすると恐ろしいですね。あるのはまさに同情と恐れです。
ホラティウスの『詩論』はアリストテレスが理念や理想を語っているとすると、より実際的です。観客に喜んでもらえるような作品を書くには、という事です。だから同じ合理的と言うのにも、アリストテレスとは内面的なものか人にわかってもらうためのものかの違いが出てきます。ちなみに私は個人的にはホラティウスの方が好きでした。例えば文章の書き方についても、簡潔にしようとし過ぎたらわかりにくくなってしまうし、すんなり読めるようにすると威厳がなくなっちゃうとかいう事が書いてあって、本当にその通りだなあと思いました。哲学者ではなく、実際に詩を生業としている人だという感じがします。それから、当時は詩とは狂気の賜物と思われていたので詩人は狂人を装っていたそうですが、ホラティウス自身は狂気に身を委ねる人ではなかったそうです。その辺も好きですね。
『ギリシア・ローマ抒情詩選』
岩波文庫で呉 茂一氏の訳ですけど、とても訳文がきれいでいいですよ。
エジプトの詩も少しだけ載っていて、冒頭にあるのがイクナアトンの「アトンへの賛歌」です。本人が書いたかわかんないですが、この詩はすごいですね。ただ者じゃないですね。その後は主にギリシアの詩が収録されています。サッフォーとか『海潮音』で読んで好きだったので載っていて嬉しかったです。
私は個人的に恋愛詩が好きなので、ローマのカトゥルスが中では一番でした。オウィディウスがなかったのはちょっと残念ですが。訳に気合いが一番感じられたのはホラティウスです。格調高いですね~。ホラティウスってあちこちで引用されてていいなーとは思っているのですが、なかなか邦語訳がないんですよ。訳しづらいらしいです。
あと、ちょっと気に入ったのは読人知らずのこの詩です。
ちょっぴり啖(くら)ひ、ちょっぴり飲み、さて大いに大病した挙げ句、やっとこさと、だがとうとう私も死んじまった、みなも一緒にくたばるがいい。
『賢治と鉱物』
宮沢賢治の物語に登場する鉱石について、鉱物の専門家が解説をしている本です。とにかく綺麗な本で、書店で目について即購入しました。グッジョブ工作舎。
賢治は本当に石が好きだったんですね。採石場でも働いていたそうで、ノヴァーリスと似てる気がします。ノヴァーリスはフライベルク鉱山学校を出て鉱山で仕事していたから、話の中にも鉱石がよく出てきます。
賢治の物語にも石は書かれることが多いですが、実際見た事がないものが多くて『十力の金剛石』とか九割妄想で読んだ記憶があります。これからはこの本をひもとけばわかりますね。鉱石については賢治の作品中でどういう使われ方をしているか詳しく解説してくれていますし、鉱石の性質についてもちゃんと専門的なことを理解しやすく書いてくれています。どちらも興味深く読みました。賢治が好きな人にも、石が好きな人にもおすすめな一冊です。
『伝奇集』
完成した『バベルの図書館』の訳を読んでもらったのですが、意外な事にやや不評でした。どうも、すらすら読めすぎて物足りなかったそうです。前回私は自分の読んだ翻訳が誤訳だらけだと書きましたが、友人はこれはもしかしたら「シュールな訳」なのではないかと言い始めました。(ボルヘスの意図したものかはわかりませんが)何か作品に不思議な魅力を添えているようです。そう言われてみると、私にもだんだん名訳に思えて来ました。
ボルヘスの文体は、私は海外の作家ではいちばんくらいに好きです。とにかく明晰で、死のように透き通っています。それに何と言っても男らしい。私の訳にはこの男らしさは明らかに足りないですね。私にとってはボルヘスはヘミングウェイより男性的です。『キリマンジャロの雪』なんて、死に際くらいごちゃごちゃ言わずに潔く逝けと思いましたもん。
『伝奇集』はどの話も好きです。果てしない無限と刹那的な死、一見相矛盾するふたつが、透明な世界で重なり合っている感じです。読まなきゃ損する本の一つですよ。それから、ボルヘスは本当に本が好きなのだな、というのが読んでいて伝わって来ました。思い浮かんだのはやはりウンベルト・エーコですね。エーコはかなりボルヘスの影響を受けていますね。相当好きだったんですね。『薔薇の名前』ではボルヘスが本に毒塗ってましたし、『フーコーの振り子』は『死とコンパス』そのものじゃないかとも思いました。エーコも愛書家で有名でしたね。蔵書が三万冊あったそうで、私の四千五百冊なんて全然大したことないですよね。もっといいカワウソになれるよう頑張ります。
バベル図書館がわからない その4
『バベルの図書館』訳し終わりました。ここに及んでやっとこの話の内容をちゃんと理解できた気がします。あとは友人にチェックしてもらって、欲しい人にはあげようと思います。
ところで、バベル図書館のアルファベットの文字数が何で22文字か分かりましたか?私は多分わかりました。それはきっと、ヘブライ語が22文字だからですね。ちなみに冒頭部の『憂鬱の解剖学』で23文字とあるのは、ラテン語が23文字だからですよ。昔はすべての言語の起源はヘブライ語だという信仰がありましたしね。しかし今は否定されているようです。詳しくはエーコの『完全言語の探求』を読んで下さい。
バベルというヘブライ語は、私の記憶が確かなら「不和」とか「混乱」とかいう意味だったと思います。確かに図書館の本の記述は意味不明な混乱ばかりですが、それが一つの宇宙を成すのが面白いですね。