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hanekakusiのブログ

『猫とかわうそ』http://hanekakusi.web.fc2.com製作日記です。読書の感想も書いています。

『愛着障害 子供時代を引きずる人々』

読書

少し前からこのブログに読書の感想を書いておりますが、気付いてみれば常に酷評ですね。愛情ゆえではあるのですが。まあ今回も、悪口しか書きません。この本に対してというより、クオリティの低い新書が多い事への抗議のつもりです。新書というのは普通、基礎知識のない人が読むものですし、誤解を与えることは避けるべきでしょう。別に何を書いてもいいとは思いますが、学術的根拠の薄い所には「※個人的見解です」とかつけてくれないと。

愛着障害」という概念自体まだ新しいようで、まだこれから研究がすすむ分野なのかもしれません。ある程度の根拠のあやふやさはやむを得ないでしょう。それに確かに「愛着障害」という観点から見ればスッキリ説明できる症例も数多いと思います。幼少期に母親などの特定の愛着対象が不在であった場合、その後の精神状態や人間関係に悪影響があるという話です。私自身、物心ついた頃から人間嫌いで、一人でお伽の国で育っているので完全に愛着障害です。診断テストでも「回避型愛着障害」強陽性出ました。優しそうな人がいると誰とでもすぐ仲良くなるんですが、一旦仲良くなると、相手に不満はまったくないのですが、とにかく面倒くなってバイバイなんですよね。これではいけないと自分でも思っていますし、身に積まされる内容でした。最初の方の総論的な部分は、ちゃんとした文献から引いてきているんでしょうね、なるほどと思える内容でした。

しかし、だんだん言っている事が怪しくなって来ます。「愛着障害」と関連して、漱石や康成など様々な文学者たちの生い立ちが紹介されて行きます。最初の方は面白いと思ったんですが、どこに根拠のあるのかわからない断定的表現が次々出て来はじめます。どうしてケーススタディを持って来ないんでしょう。死んでどれだけ経つかも知れない作家たちの曖昧な記録から、事を決めつけるのは乱暴すぎやしないでしょうか。「釈迦もムハンマド愛着障害だった」とか「ヘミングウェイバタイユの闘牛好きは愛着障害のせいだ」とか「ルソーが趣味でコートのおじさんをしていたのは愛着障害が原因だ」とか、読んでて「???」なんですよ。実際「愛着障害」だけで語りきれない複雑な事情もあるような気がします。

愛着障害」の治療法としては、自分を受け入れてくれる「安全基地」を見つけることだとあります。それはそういう場所があれば理想的ですが、なかなかそんな都合のいい人間はいないと思います。ここで共依存の危険性には触れておくべきだったのではないでしょうか。まあ、回避型愛着障害の人間が言う事ですけどね。