hanekakusiのブログ

『猫とかわうそ』http://hanekakusi.web.fc2.com製作日記です。読書の感想も書いています。

『O嬢の物語』

知り合いの澁澤龍彦好きに勧められて読みました。

ところで私の知り合いにDV離婚した人がいるんですけど、暴力に疲れ果ててか、気弱そうで、すごく冴えない雰囲気が漂っていました。離婚して自分に命令をしてくれる人がいなくなって本当に一人でやって行けるのかと不安がり、ともすると夫の元へ戻ろうとするのを「大丈夫、別かれて間違ってないよ」と周りで励ましていました。それが、それから2ヶ月ほどして彼女に会ったのですが・・・私は最初、誰だかわかりませんでした。何だかキラキラしちゃって、10歳は若返ったみたいで。ああ、勇気を出して別かれてよかったね、と心から思いました。

私は虐待とかDVの被害者に会う事が多かったので、どうしてもそっちの視点になってしまうようです。この作品自体は傑作と思いますが、私にはあまりピンと来ませんでした。サドは好きなんですけどね。ジャン・ポーランが序文で「奴隷たちは主人を愛していた」と言っているのは、馬鹿な白人の思い上がりですよ。本気でムカつきました。

この物語では、Oを奴隷にしたルネもステファン卿も彼女を愛しています。愛する男のために、蝋人形になってしまうOの献身はそれはすごいですけど、蝋人形を熱愛する彼らも人間離れした存在ではないでしょうか。まさしく神です。彼らはOを気高く輝かせてくれる存在です。でも、こんな人間はいません。美しい幻想です。暴力を振るいながら愛してくれる人なんて、現実にはいないのです。(念のため言っておきますがSMを非難する気はありません。あれはプレイですから)もしも暴力に曝されていて、それだけその相手から愛されているのだと思っている人には、こう言いたいです。「あなたを殴る人は、絶対にあなたを愛していません」現実には暴力に耐えて美しくなる人なんていません。どんどん醜くなるだけです。

この物語で面白いと思ったのは、Oが恋人を愛さなくなったら、いつでも自分の意思で逃れることができるということです。彼女は自ら自由を手放し、奴隷になることに幸福を感じて行きます。しかし彼女は、本当に自由なのでしょうか。序文にあった解放奴隷のように、見えない糸で縛られてはいなかったでしょうか。

自我を捨てて誰かに身を委ねきることができれば、幸せなのでしょう。しかし、自我を捨てた者を受け止めることができるような人間は、きっと物語の中にしかいないのです。近親相姦と同様、空想の中でのみ許された甘美な神話ではないでしょうか。