hanekakusiのブログ

『猫とかわうそ』http://hanekakusi.web.fc2.com製作日記です。読書の感想も書いています。

「生まれてすみません」

しばらくSDSが50台後半なのに、毎日雨です。このままだと病院送りなので何か元気になる方法はないかと色々調べていたら、六方拝をしろとかいうお節介な話がありまして、親、家族、恩師、友達、空と大地に感謝の祈りを捧げると心穏かになるのだそうです。未熟者の私には感謝は無理です。ネガティヴな事以外思い浮かばず、謝罪が精一杯です。まったくもって「生まれてすみません」ですよ。だけどこんな風にして謝られる方も迷惑な話です。

しかしわからないのですが、太宰治は誰に向かって「生まれてすみません」と言ったのでしょう。元々の宛先は察するに特定の個人だったと思うのですが、多分本人もわからなくなっています。一般的に文章というのは読者に向けて書かれているので、読者全員に対して謝ってるとも受け取れます。とは言え、私は別に太宰に謝られる筋合いはありません。私だけでなく多くの読者は、この謝罪文が自分に向けられているのだと受け止めて戸惑う事はないでしょう。謝るという事は、相手に何かを許して欲しいんでしょうけれど、これを読んで太宰を実際許してあげた読者がどれだけいるかは知りません。

もしも私のような冷たい読者ではなく、誰か鷹揚な人がそれを読んだら「ふむふむ、太宰君もなかなか反省しているようだね。可哀想だし大目に見てやろうじゃないか」という大らかな気分になりでもするんでしょうか。わかりません。太宰自身、どういう返答を望んだのでしょう。

誰でも日常生活で、いなくなっていいよ、というメッセージは容易に受け取る機会があります。だけど生きていていいよ、という許可は一体誰がくれるのでしょう。これ難しい謎です。わかっていれば太宰もその人に個人的に手紙を書けば済んだ事です。しかしそもそも、許可を与えたり拒んだりして人の命を左右する資格が誰かにあるのでしょうか。